Single_word’s diary

smartに生きよう

倫理の崩壊?

教師間虐待

  最近は性格や個性をパーソナリティで一括りに性格分析をすることに出会うことが多くなったように思う。

 心理学が盛んに、また一般的になって、誰もが自分はどんな性格の型になるんだろうとか興味を持つのだろうか。

 血液型が一頃もてはやされていたことがあるが、そんなものかもしれない。やっぱり自分はどのような傾向があるのだろうなど、誰しもが気になるところだろう。

 

 しかし、血液型とは違い、パーソナリティの分類にはそれなりの理由があって、誰もが納得できる根拠があるらしい。

 

 人は自分の生まれや生育環境によってそれぞれ特有の感じ方や行動を持っている。幼少期から学生時代の経験によっても変化する。

 とはいえ大方は似たり寄ったりの傾向を持っているものだ。それが一般的に常識と言われるものだろう。

 ところがたまにそれに当てはまらない行動や反応をする人がいたりする。

 どのような個性にも長所があり、短所にもなるが、程度が極端であったりすると問題となるらしい。

 

 そしてそのことで本人が悩んだり、周囲を巻き込んで問題視されると周囲からは変わった人とか、性格が悪いとか思われることになる。

 心理学ではパーソナリティの歪みであり、偏りがあるといわれている。

 

 

 昨今のストレス社会は人間関係を築いている大半の人が感じていることであろう。DVをはじめストーカー、いじめハラスメント、虐待はおよそ日常的に報道され続けて後を絶たない。引きこもりに始まる事件は痛々しい結末を我々に伝えてくる。

 

 この事実が何となく感じる生活上不安社会の閉塞感を象徴していると思う

 

 こころに虚しさを感じていたり、将来の希望が見えない人は圧倒的に多いのではないだろうか。一時的な行動をすることで何とかやり過ごしている人もいるだろう。

 毎日の学校や職場、家庭の中でさえ誠実に生活していても、嫌な思いにさせられたり傷つくことが多い。

 また、立場が上の人間にも明らかに問題を抱えた人が目立つような状況が多く、救いの手を差し伸べる手立ては少ない。

 

 職場環境は倫理観や社会規範が影響されるところである。

 企業でも統制やルールがきちんと敷かれている環境では、それなりに個人は規律の中で制御される。

 しかしルーズな環境ではもともと自己愛者でなかったものまでが、自己愛者のような身勝手で攻撃的な行動をするようになると社会学者の間ではいわれている。

 

 

 神戸の教師間虐待事件はそのような状況を表す氷山の一角のように感じる。

 この問題が連日TVで報道され取り上げられるのは、まさか教師の間でといった驚きだ。

 あってはならない現場でのハラスメントは当然のごとく社会や子供にまで影響を与えている。

 社会倫理や規律が個人の中で育っていないと言われている。

 現在の教育は道徳や社会倫理より、スポーツや勉強に力を入れる事が理想となっているのだ。

 一方、神戸の被害者男性を見ると、つけ込まれやすい人間性があるように思える。

 痛めつけられて批判されるのでは救われないと言われるかもしれないが、他人のことを心に痛みも感じずに何でも言つけることのできる人間ばかりではない。

 被害教師は何度か教頭から訪ねられるが、なんでもないと答えている。

 日本人には他人の悪口を言わないことが美徳であるとする習慣がある。

 我慢強く困難に耐える事が良いとする文化がある。

 

 一方では倫理観が崩れている世界があり、その中で生きるものは苦痛を強いられる。

 現在生き方は多様化していて、どのように生きるべきか、いろいろ取り沙汰されているが、正直に正しく生きよう、など考えているだけだと生きづらくなるのは明白だ。

 

 日本では既に20数年前より自己愛の蔓延する社会を危惧する声や、社会学者や心理学者の中からはそれに対した警鐘を鳴らすメッセージが頻繁に投げられている。

 

 今回の神戸の虐待は刑事事件となり表面化した。その部分の刑事責任を問われることになる。虐待教師はそのような結末を想像したのだろうか。そうではなかろう。彼らにとって、日常の不満を吐露した快感があったのだろうか。

 彼らのはけ口のない川の出口は見つかるのだろうか。

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