Single_word’s diary

smartに生きよう

持ち帰った1本のネジ

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小栗上野介

2019年10月2日

9:05

 

 人は感情を超えられないのだろうか。

 いかに賢い人も決して例外ではない。

 単なる嫉妬や僻みなどの感情から、取り返しのつかない結末に至ることもある。

 ケネディ元大統領はなぜ射殺されたのだろう。

 今だに正確には報道されてはいない。

 センセーショナルな大事件は世界中に喧伝されたが、わが日本でもそれは同じ事の繰り返しのようだ。情報が正しく世の中に知られることばかりではない。

 歴史は時の権力者によって思うように塗り替えられてしまうことが少なくない。

 

 小栗上野介の斬首刑を知って悲しい思いを断ち切れない。

 なぜ人は大局に立った見方ができないのだろうか。

 

 小栗上野介は日本の造船所として初めて作られた、横須賀造船所の基礎を築いた人物である。徳川家の旗本小栗家(神田駿河台)1827年に誕生した。

 

 

 日本の鎖国は黒船の来航がキッカケとなり終焉を迎え、1858年7月には日米修好通商条約が締結された。その後1860年に小栗は渡米を果たす。

 この渡米中にアメリカ各地を訪れ、先進技術力の高さに目を奪われる。

 アメリカでの写真に写る日本人はちょん髷に日本刀を帯刀している。

 アメリカではすでにこの時、蒸気を利用した蒸気機関車が走り、ビルが立ち並ぶ異次元の世界を作り上げていた。

 小栗はこの折、日本でもこのような先進設備を取り入れたい、と強く思ったことだろう。帰国の折、この造船所で作られた一本のネジを大切に持ち帰っている。

  渡米の目的は通貨の見直し交渉であった。小判とドル金貨の不平等を是正することにあったが、その交渉の折一歩も引かぬ小栗の姿勢にアメリカ人から「ノーと言わぬ日本人と」として称賛されたといわれる。

 その後、外国奉行、勘定奉行を歴任し、そこで自分の理想を展開すべく辣腕を振るう。紆余曲折を経ながら結果的に日本初の基礎である横須賀造船所建設に至るのである。

 当時、幕府役人は造船所建設反対の声が大半であった。「軍艦なら他国から買えばよい」というのだ。それに対して小栗は「たしかに軍艦は買えばよい、しかし軍艦は破損するが、修復する技術を持たないとまた買うことになる。それでは他国の脅威に対抗できない」といって造船所計画を開始させた。

 

 ときは大政奉還を得て、明治新政府発足の時代だ。

 小栗は将軍徳川慶喜を拝していた。慶喜が新政府への恭順を選んだため、小栗は江戸を去り、現在の群馬県権田村に身を置いた。 

 そこで、若者たちへ教育や周辺の水路の整備をしたりする静かな余生を考えていた。

 ところが新政府では小栗が幕府の御用金を持ち出し戦争を企てているというまことしやかな噂が持ち上がり、小栗は出頭する。1868年4月取り調べもないまま斬首となった。享年40歳であった。

 

 人に歴史あり。どのような人にも華々しい時もあり、落ちぶれた時代もあるものだ。乗り越えれば、そこに語り継がれる栄光がある。

 しかし、小栗の生涯は実際の功績ほどには後世に伝えられていない。幕府の埋蔵金などという根も葉もないうわさ話が広がり、それがもとになり生涯を閉じた。一言の言い訳もせず斬首となった。

 真実を言わずにおくことも、言うこと以上に美しい。しかし、知らぬが花では語り継ぐ物語さえない。日本人は奥ゆかしさが非常に好みだが、私的に言えばこのあたりにも人間の嫉妬、羨望が渦巻いているように思えてならない。

 去り際まで妻子を気にかけ、逝った日本男児に私は杯を掲げたい。

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